ユニフォーム聖徳太子(574~622)といえば、推古天皇の摂政として、
律令国家の基礎をつくった人物として有名です。中でも大きな功績のーつが、603年(推古11)に「冠位十二階制」で役人の位を定めたことです。
位は、「徳・仁・礼・信・義・智」をそれぞれ大小に分けた十二階。それぞれの冠位によって着用する服や冠の色が決まっていたといわれています。服装だけでなく、髪は頭の上でまとめること、髪飾りをつけるのは正月だけ、といった服装規範も定められました。これは、いわば日本最初のユニフォームだといえます。

ちなみにこの冠位はあくまで個人に与えられるもので、親から子に譲り渡すことはできませんでした。今から考えると当然のことのようですが、それまでは政治の重要なポストが世襲で決まることが多かったのです。聖徳太子は政治を健全化するために、位を個人の評価と連動させて階層化し、実力に応じた昇進を実現しました。さらに、その位を服装によって周囲に明らかにしたというのですから、役人が自分や他人の位を常に意識することで、モチベーションや競争意識を高める効果を狙ったのかもしれません。
遣隋使として中国に渡った小野妹子も、この制度によって大きく昇進した人物の一人です。