経営者後の大経営者になる十数人の町工場のおやじの口癖は「今に世界一になる」だった。敗戦直後の昭和22年、日本かまだ飢餓列島であったころ浜松工専機械科を出た河島高好(二代目社氏)が、ほかに就職するあてもなく、宗一郎のことを知っていた父親に連れられて彼のもとに来た当時、宗一郎は二間あるだけの浜松市営住宅に住んでいた。
『明日から来い。しかし、今のうちは、ほかの会社みたいに学校出に払うような給料は出せないぞ』
「それでもいいです」
そして、ほんとうにその翌日から出勤すると。後日有名な経営者となる本田宗一郎かなんと工場の床にかいたエンジンのアイデアをすぐに設計図面にひくようにいわれ、
「まだか、まだか」
と矢のように催促をされながらで工専の教科書を引っ張り出して、四苦八苦したという。

ホンダを設立する前の従業員が十数人のころのことである。そして、次は、会社設立直後の昭和二四乍のころの河島の回想である。その年、古橋広之進選手が全米水泳選手権で世界記録を出して優勝した。
「(宗一郎か)私に、 「河島、お前は中学で古橋の一年先輦だろ、しつかりせい!」
と叱るようにいい、
『浜松でぽそぽそやってたって、たかが知れている。東京へ出るんだ』
といいたして、ついには、
「世界一でないと日本一じゃない」
という名文句が出てくるにいたるんです。そこまで発想が飛んじゃうのか。すごいおっさんだなあとあきれ半ばでしたがね。夢のようなでっかい目標をまず口走ってしネスいったん口にした以上は、いつか必ずヤり遂げる。それがおやじさんです。そうわかったのは、ずっとあとになってからですが。真の経営者はすごいのです。